DQSメドレー企画「バトンの代わりにスティックを!」アンカー:高橋浩司、野口徹平、森信行<座談会前編>

ミュージックDQS, インタビュー, ライブ, ライブハウス, 下北沢

ドラマー13名からなる、驚愕のモンスタードラムバンドとして名高いDQS。

11月1日~2日に下北沢Club Queで開催されるDQSワンマンライブに向けた、DQSメドレー企画「バトンの代わりにスティックを!」

最終回は、高橋浩司、野口徹平、森信行の3人によるDQS座談会をお送りします。

Photo:Miyuki Mitadera(@inoreco)

dr.高橋浩司、Gt.野口徹平、dr.森信行

10月某日都内某所の喫茶店。
後に、あんなにはしゃぐメンバーの姿を見ることになるとは想像できなかった。

まずは自己紹介をお願いします

高橋)DQSの最年長、リーダーにはなれない男、高橋浩司です。
長い事ドラムを叩いております。
『PIGGY BANKS』というガールズバンドで何故が男の自分がサポートで参加しています。
他には色々と自分で叩く場所を探しています。

森)DQSの森です。僕も色々とやっていまして、昔は『くるり』というバンドにいました。
まだ『くるり』にいた頃に、ケンさん(溝渕ケンイチロウ)が『セロファン』というバンドをやっていた時に大阪で対バンをしたことがありました。
DQSのメンバーとは結構対バンをしていて、浩司さんとは『PEALOUT』の時に渋谷の屋根裏でやってたり、徹平ともやったよね。

野口)SHIBUYA-AXでやりましたね。AXが出来て3日目でしたね。

森)あ、そんなやったっけ?

野口)こけら落としをDragon Ashが2daysやって、その後です。

森)そんなんがありつつなんで、昔も繋がりがあって、ドラマー同士が一緒のバンドをやるってなかなか無いじゃないですか。
まさか浩司さんと、まさかケンさんと一緒にバンドをやるなんて夢にも思ってなくて。

高橋)ドラムの人と一緒にバンドをやるって発想がないもん。

森)ないない!ドラムの人に「ちょっと一緒にバンドやろうよ」なんて、そもそも無いから。
だからこういう形で一緒に音を出せるのが楽しいです。

ケンさんに無理やり引きずり込まれたんですけど。
(一同爆笑)

森)でも個人的にすごく興味があって、昔、下北沢CLUB Queのポスターを見た時に興味深かったのが「Queで9台ドラムが入る」って書いてあったんですよ。

高橋)そう。もともとそういう発想だったんだよね。Queだから9台って。

森)これはおもろいなーって思って。絶対に見たいって思ってたんだけど、1回も客観的に見ることなくDQSに入りましたから。

高橋)見る前に興味本位で入っちゃったんだ(笑)

森)ケンさんに「面白そうなことやってますね!僕もやりますよ」って言ってたら、「じゃあモックン、今度リハあるから」って言われて。

高橋)考える時間は与えられてないよね。

森)「やる」か「やられるか」の2択。
(一同爆笑)

高橋)やらないと、やられるって事だよね(笑)

野口)ギターの徹平です。『Hi-5』というバンドを福岡で結成して、来年20周年になります。
10月25日に13年ぶりのアルバム『All is Calm, All is Bright』が発売になりました。
20年の間で13年間何やってたんだって言われるんですけど、途中でミニアルバムを出したりシングルは出してたんですけど、フルアルバムは13年ぶりと。

森)聞いたよ!すごい若々しい良いアルバムだった。いい意味で13年変わってないなって。

野口)僕、DQSは初回のライブから見に行っていて、さっきモックンが言った「Queで9台ドラムが入る」っていうだけでバカバカしいじゃないですか。
だから絶対に見に行かないとってQueに行ったらお客さんでパンパンになってて、音が鳴った瞬間にもう地鳴りですよ。
こいつらアホだろって思いました(笑)

当時ギターを弾いていたのがプレクトラムのアッキーさん(藤田顕)だったんですけど、DQSの曲って変拍子も多いしとても難しいんですね。
僕はお客さんとして行っても、どうしてもギターを見てしまって「絶対にあんなのやりたくないな」って思ってました。
(一同爆笑)

野口)DQSが出来てから2年位経って、高円寺のライブハウスでたまたまケンさんとお会いして、その時に肩を組まれて「お前、DQSでギター弾かんや?」って言われて、考える間もなく「やります!」って言っちゃった。
もう、そこで「やる」か「やられるか」の世界だったから。
だから、あの瞬間だけは忘れられないですね。

森)僕とテッペイやんはちょっと後から入っているんですよ。DQSが出来た直後ではなくて。
だからDQSがオギャーって生まれた瞬間って知らなくて。

高橋)だって創設メンバーってほとんど居なくなっちゃったもんね。
みんな逃げだしたって言った方が合ってるかな(笑)

森)過酷な労働条件だから(笑)

高橋)みんな部屋の鍵を閉めて開けられないようにして(笑)

ここで注文していたパフェ登場

はしゃぐおじさんたち写真を撮りまくるおじさんたち

DQSが出来たころはどんな感じのバンドだったのですか?

野口)今残っているオリジナルメンバーは、浩司さん、ケンさん、ハジさんと、、

高橋)あと堀越さんだね。

森)そもそもはカバー曲をやってたって。

高橋)そう!ほとんどカバー曲だったんですよ。考えてみたら。

野口)ゲストボーカルを入れてやってましたよね。

高橋)ゲストを呼んで歌ってもらってライブをする形だった。
ガンズ・アンド・ローゼズをやったりとか、ボン・ジョヴィを歌ったりとか、メタリカやったりとか。
企画色が強かったかもしれないですね。オリジナルで全曲やろうって発想はなかったと思う。

森)じゃあ、そこからオリジナルを作っていこうってなったの?

高橋)なったんだよね~。
それまではゲストボーカルを入れないとライブが成立しない状態だったから。

森)そこからオリジナルを作ろうって至るまでの過程を知らないから。

高橋)よく分からなかったよ。だって俺、偶数でしか生きてきていないから(笑)

野口)7拍子とか5拍子とかね。

高橋)奇数のビートがこの世に存在するってよく分からなかったし。
その辺から記憶が曖昧なんだよね(一同爆笑)森)浩司さんの譜面って最高なんですよね(笑)

高橋)俺、カタカナでしか書かないから。

森)「ドン、パン、スパパパン、ドン、カンカン」

野口)「タタッタタッタ、タタタ」って書いてあった(笑)

高橋)「タ」がどこを指すか分からない(笑)

森)オリジナルを作ろうってなったら労力がいったんじゃないですか?

高橋)最初はヤマちゃん(ヤマザキタケシ ex.メレンゲ)が居たころは結構技巧派で結構難しい曲を書いてきてた。

野口)知ってます。1曲やりましたよね?最初の頃のライブで。

高橋)いまだにあの曲の仕組みは分からないもん。

野口)俺もです。あれっきり、無かったことになってますよね。難しすぎて。
あれはトラウマになるくらい難しかった。

高橋)もうあの曲は誰もやろうって言わなくなった。

森)ライブが決まって、次のライブはオリジナルをやろうってなったの?

高橋)1回目のライブが「Queで9台」だから企画もの色が強かった。
でもあのライブが楽しかったから、またライブをやろうってなったのかな。
それで、今度は2日間やろうって。

森)リハとかはどうやってたの?

高橋)どうだったかな。結構リハ日はいっぱい取ってたと思う。
いまは使ってない場所だった。音がうるさいから一回使うとリハ室が使えなくなっちゃうの、苦情が来ちゃって。
だからジプシー生活だよね。
(一同爆笑)

森)行っては怒られ、行っては怒られみたいな。

高橋)説明してる以上に大きい音だから、「こんなに大きい音だと思わなかった」って言われちゃう。
次に使おうとすると「DQSで借りるんだったら下のフロアも借りてくれ」って言われて。
下の階にも聞こえるから「2フロア借りてくれるなら」って無謀なことを言われて、事実上の出禁だよね。
だから、バンドの練習っていうよりも劇団の練習場所を探す感覚だよ。公民館とか。

カバー曲をやってた時、割り振りはどのようにしていたのですか?

高橋)あまり考えないでやってたかな。
安全地帯の「ワインレッドの心」をやったときは、ドラム9台必要ないじゃないですか。
今思ったけど、曲ありきでそこから振り分けようとしたけど、振り分けが難しい曲が多かった。
ガンズ・アンド・ローゼズの「ウェルカム・トゥ・ザ・ジャングル」をやった時は俺とヤマちゃんがあぶれてタンバリンをやった記憶がある。
だから今ほど緻密じゃなかったね。あの時は「楽しくやる」「楽しく見せる」って方が前提にあったかな。
ストイックさは今の方が遥かにあると思う。

オリジナル曲はどのように作るのですか?

野口)僕だけにケンさんからアコギの弾き語りが送られてくるんですよ。

高橋)だいぶ、しびれるね。

野口)DQSの新曲ですよ!デモがアコギの弾き語りなんですよ。
(一同爆笑)

野口)ケンさんから「これをお前がなんとかせい」って。
そこから曲作りが始まってるんですけど、アコギだけジャランジャラン鳴ってるのをどうもこうもならないから、とりあえず何々風、何々風って5パターンくらい作って、ケンさんにお伺いを立てるんです。
「じゃあ3番目のやつ」って言われたら、平田さんとか真貴君とかのPIT陣でアレンジを作って、粗方、形になったら今度はHAZEとかに持って行くんですよ。頭が使える人に。
そこで具体的に作られてから全員に渡される感じです。
だから、そろそろ自分の所にアコギが来るんじゃないかってヒヤヒヤしてるんですけど。

森)この間作った曲は最初っから出来上がってた感じだったんじゃない?

野口)あれ違うんですよ!あれは元々HAZEが1分半のドラムネタを送ってくれたんですよ。
ケンさんから「お前とHAZEで新曲作れ」って言われて、HAZEが作って送ってきて、それにメロディーを15分で作ってケンさんに送ったんですよ。
これでとりあえずノルマは達成したって思って。
その後ケンさんから何もリアクションが無いんですよ、3年くらい。

全員)3年!?

野口)そしたら去年の暮に「あの曲を5分にして送り返してこい」って。
1分半しかない曲を5分にしろって無茶苦茶なことを言われて。
存在するドラムのフレーズがHAZEが叩いた1分半しか無いから、それを1拍ずつ切って全部切り貼りして何とか4分半にしてケンさんに送ったんです。
あの作業は死ぬかと思いましたよ。

高橋)DQSは割とリズムありきと言うか、曲ありきで作られてるから、リズム楽器だけでやってる割りには曲から入るっていう。
だからDQSって誤解されがちで、ただドラムを沢山鳴らしているだけって思われるんだけど、実はメロディーのある曲をドラム11台とか曲が呼ぶ台数でドラムを叩くんです。

森)普通はドラム1台ですけど、DQSはみんなのドラムで歌を支えてる。頭おかしいですね(笑)
ドラムをやってると、1人では出来ないことがいっぱいあるんですよ。
やってると「あそこにもうちょっとあったらいいのにな」って思う事があるけど、DQSだと具現化出来るので楽しいですよね。

高橋)うちみたいなバンドは他に無いから、これまでのどのバンドの方法論も当てはまらない。
練習場所から練習時間からスケジューリングからライブをする場所から、全部初めて。

森)雛形が無いですもんね。正解は自分たちで作っていくしかない。

高橋)DQSは結成して6~7年経つのに、いまだに試行錯誤してるし、いまだに結論が出てないし、何をどうすれば良いのか分かってない。

森)そういう意味では、めちゃくちゃ冒険だし、クリエイティブだし、そういうのって意外に無いなって思って。それが面白いなって。

ライブ毎にテーマってあるんですか?

野口)ざっくりとあるっぽいんですよね。

高橋)「今回のテーマはこれ!」みたいなものは無くて、話はしてなくても何となく共有出来てる感じはある。

野口)最終的にはどれだけ自分たちが楽しんで、お客さんたちに楽しんでもらうかってことが全てなので、そこはまったくブレないですね。

森)昔は1曲1曲やるのが精いっぱいだった。
最近はライブの回数を重ねてきたから、「1日のライブで起承転結のある1曲」と見せるような流れの精度は高くなったと思います。
あとは「この曲はどっちの手から始める」とか決めたり。
みんなそれぞれクセがあるから「この曲は右手から始めよう」とか、シンバルはこっちの手で叩こうとか俯瞰的なものを詰めていったりしてますね。

高橋)振り分けはわかってきたかな。
俺に難しい事は振られない!曲を作る時点で分かってる。
(一同爆笑)

森)俺と浩司さんは勢いのあるパートをやる。

高橋)あと、カウントのあるパートに回される(笑)
でもやっぱり、適材適所って言葉はすごくピッタリだなって。
細かいフレーズが得意な人には細かいフレーズが振り分けられるし。

森)それぞれの個性は生きますよね。

高橋)なるべく個性が生かせて、楽しくライブが出来るように。

森)(大爆笑)そうね!それぞれの良さが引き出される。

野口)以前、浩司さんはカウント2拍目でミスってましたよね?(笑)
(一同爆笑)

野口)「ワン」って言って、「ツー」って言う時にハットに引っかかってグダグダになるって。

高橋)ハイハットに引っかかって「スリー」が上がらなかったんだよ(笑)

野口)うやむやで曲に入ったって。最高に面白かったです!

高橋)なんかひとつの会社みたいで「あなたがこの部署で活躍してください」っていう感じ。

野口)組織として、役割分担があって。

高橋)DQSはいいモデルになってると思うんだけどな。
世代もバラバラだし、俺が今年50歳になるかと思えば、まだハタチにならないメンバーが居て、30歳以上違うメンバーが同じバンドに居るってなかなか無いよね。



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