<ドラマー高橋浩司50歳記念>全人生50年を振り返る渾身のロングインタビュー
90年代半ばに突如として現れ、日本のロック界に多大な影響力を与えた「PEALOUT」。
フジロックで解散という劇的な幕引きでその活動を終えた伝説のロックバンドである。
その1番後ろで圧倒的な存在感を放ちながら全身全霊でドラムを叩いていたのが、高橋浩司だ。
PEALOUTの活動が終了した後も、HARISS・REVERSLOW・DQS等々・・・休むことなくドラムを叩いたり、DJをしたり、歌ったり、レーベルやったり、喋ったり、食べたりと、今までにない全く新しいドラマーの姿を表現してきた。
彼はまさしく「日本一愛されるドラマー」である。
そんな高橋浩司が、2017年12月4日に節目となる50歳の誕生日を迎え、自らを祝してバースデーイベント「50祭」を2日間に渡って開催する。
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そこで今回は高橋浩司に50年の歴史をたっぷりと語り尽くしていただいた。
DQSの森信行とノグチテッペイもゲスト参加し、笑いあり涙ありのとても貴重なロングインタビューを全5ページにて掲載。
この歴史を深く刻みつけて会場に足を運んでほしい。
interview:okasotokeiko
Photo:Miyuki Mitadera(@inoreco)
見えない誰かと話したり、見えない誰かと遊ぶことが多かった
-今日は高橋浩司さんの半生・ドラム人生について、たっぷり語っていただこうと思います。まずは高橋さんの子供時代についてお聞きしたいのですが、幼少期の高橋少年はどんな子供でしたか?
高橋)ひとりっ子だったので、早い段階から一人遊びを覚えてて、誰か対象を作るというか、ひとりだから見えない誰かと話したり、見えない誰かと遊ぶことが多かったです。
小さいころから自分の声を録音したり、声色を変えて誰かが居るように部屋でしゃべるから母親が何個かジュースを持って部屋に入ってきて、自分ひとりしか居なくて唖然としてたりしてました(笑)
外でも結構遊んでたんですけど、でも早い段階で一人遊びを確立してたような気がしますね。
自分でラジオの番組を作って自分の番組にハガキを書いたりとか。
ノグチ)そのラジオのテープを聞かせてもらったんですけど、ヤバイですよ!(笑)
森)DJの体で曲とかかけてたの?
高橋)ベストテンを紹介したりしてた。
ノグチ)高橋少年が「今週の第10位」とか言ってた。やたらと綺麗な音で残ってた(笑)
高橋)自分の番組にハガキを出して、自分で読んで、そのハガキに書かれた悩みに相談するっていうトリッキーな感じだったのを覚えてる。
そういうのは、ずっとやってましたね。
だから、ひとりっ子だったけど退屈した記憶はあまり無いかな。
今も高中正義は好き。自分の音楽人生で何の影響も与えていないんですけど
-では音楽への目覚めはいつ頃でしたか?
高橋)一番最初は小学校高学年の時、今でも付き合っている親友に、高中正義っていうギタリストのレコードを借りたんですよ。レコードを聞いたら歌は入ってなかったんですけど、曲がすごく良くて「なんかいい曲だな」って初めて思ったの。
それが音楽としてちゃんと認識した最初なのかな。
高中さん、今はジャスとかフュージョンのジャンルですけど、僕が中学生の頃ってまだロックのカテゴリで「サディスティック・ミカ・バンド」のギタリストでソロアルバムだったと思うから、ロックギタリストとして聞いてた。
もしかしたら、そこがロックの入口だったかもしれないですね。
それからレコードを借りるようになって、QUEENとかAC/DCとか聞いてましたね。
高中からもうQUEENに行った記憶が(笑)
森)浩司さんから「高中」が出てくるとは思わなかった。
高橋)人には言っていないんだけど、未だに高中のコンサートに言ってるからね。
ノグチ)初めて聞きました。
高橋)ただ、自分の音楽人生で何の影響も与えていないんですけど。
(一同爆笑)
高橋)何一つ影響を受けていないんです、未だに。
一度、ご本人に会える機会があったんですよ。
当時、高中さんがゴンチチと一緒にライブをすることがあって、僕がゴンチチのマネージャーと仲が良くて「高中さんをそんなに好きだったら楽屋に来る?」って誘われて「行きます!」って。
NHKホールの楽屋に入って「大ファンらしいです」って紹介してもらったら「あっそう」みたいな対応をされたの。
この10年間、高中さんを教えてもらった親友と一緒に富士山に登ってて、頂上で必ず高中の「虹伝説」を聴くって儀式があるんですけど、嬉々としてそれを高中さんに伝えたら「ふ~ん」って言われた。
「あんたに幾らお金使ってきたと思ってるんだよ!」って思った。「もう少し優しくしろよ!」って。
(一同爆笑)
高橋)「ふ~ん以外に言う事あるだろ!」と思って、結果的に会わなくても良かったかなと。
でも今も高中正義は好き。
彼はギタリストだから、ギター始めてもよかったはずなんだけど、ギターには行かなかったんですよね。
ドラムはQUEENにロジャー・テイラーって言うドラマーが居て、QUEENの中で一番カッコイイ人だったんですよ。
一番カッコイイ人がドラムをやるんだって思って、そこからドラムの方に行きました。
こんなにモテるんだったらバンドやろうと思って
-それは何歳頃?
高橋)中学3年生の頃ですかね。
卒業コンサートみたいなものがあって、「音楽に興味があるんだったらバンドやろうよ」ってなって、QUEENも好きだったのでドラムやるってなって、ビートルズの「抱きしめたい」と「She Loves You」をやった。
その時にものすごくキャーキャー言われて、こんなにモテるんだったらバンドやろうと思って。
・・・でも、それがピークでしたね。
(一同爆笑)
森)早いなー!
高橋)でも、それくらいキャーキャー言われてたんだよね。それからドラムを始めたのかな。
それが初めて組んだバンドで、高校生になっても一緒にやってて、ジャーニーとかデフ・レパードをやってた。
バンド名は「BASIC」。"基本"って付けた。
キーボードを担当してたメンバーの家の地下室にドラムセットがあって、ドラムを練習する環境としてはとても良くて、いつ行っても叩かせてもらえたので、そこでずっと練習してました。
ホールを借りてライブをやったりしてましたよ。コピーバンドを集めて、自分たちでチケットを作って売って、「ライブハウスにはドリンクがあるらしいよ」って聞いたからジュースを買ってきてドリンクを出してたりとかして、ライブハウスの真似事をしてましたね。高校生の時に。
-それからのバンド遍歴は?
高橋)「バンドって楽しいな」と思い始めた頃にザ・ブルーハーツとかBOOWYが流行り始めて、「こういうオリジナルをやるバンドをやりたいな」と。
そこまでいくのにカバーをやったりもしたんですけど、僕たちには「音楽」ってジャンルしかなかったから、日本のハードロックをやったり歌謡曲をやったり、ジャンル問わずでしたね。それが今に生きてると思います。
僕は嫌いなジャンルが無いんですけど、その時に培われたのかなって思います。
色んなコピーをやるようになって、「ドラム面白いね」「バンド面白いね」ってなって、ザ・ブルーハーツとかBOOWYとかオリジナリティーを持ったバンドが出てきて、実際に生で見に行くようになってますます「バンドカッコイイなー」って。
高校が終わるくらいの時に「オリジナルをやろう」ってなりました。
その頃は「image」ってバンドだったんですけど。
BOOWYになりたくて、スーツを着てやったり。目の上を青く塗ってお化粧をしたり、「BOOWY」ってアルバムのジャケットの通りにメイクをして。
そこではまだ大学に行くか高校を出て音楽をやるかの結論が出てなくて、それだったら大学4年間で自分のやりたい事を決められるなと思ったから大学進学を選ぶんですけど、一浪してしまって。
一浪するわ大学に行けないわだと、その後にバンド活動は出来ないなと流石に思ったので、勉強をして大学に入ったんです。
でもそれは、バンドをやるために勉強したって感じですね。
4年間大学に行って、やっぱりバンドをやりたいって結論に至って、卒業と同時にもっと真剣にバンドをやるようになりました。
バンドブーム全盛期で、ホコ天もやってたし、イカ天も出ました
高橋)大学時代にはオリジナルをやるバンドを始めて、Swinging Popsicle(スウィンギング・ポプシクル)のベースの平田博信と大学が同じだったので、その時のバンドでベースが辞めたタイミングに平田に入ってもらったんです。
自分が卒業後もメンバーが在学中だったので、しょっちゅう大学に行って、学祭に行ったり、一番面倒くさい先輩だったんじゃないかな(笑)
その頃からオリジナル曲をやるようになって、下北沢屋根裏などでライブしてました。
当時下北沢の屋根裏の店長が元Club QUEの二位さんで、気づけばその頃からの付き合いですね。
当時はバンドブーム全盛期で、ホコ天もやってたし、イカ天も出ました。
一同)へぇ~!
高橋)その頃はとにかくメジャーデビューが夢で、「俺も絶対にあれになりたい!」って思ってたし、ホコ天も雨が降らない限りは毎週行ってましたね。
その時に人気があったのがBOOMで、THE FUSE(ザ・ヒューズ)とか、イエローダックとかがホコ天にいたんです。そういう人たちに交じって、早起きして出来るだけ良い場所を取って。
だから、ほんとにバンドブームの中にどっぷり居たって感じですよね。
「イカ天に出演したらメジャーデビュー出来るらしいよ」って聞いて応募して。
完奏はしたけど、その時は特に大きなウェーブが起きることは無く。
(一同爆笑)
高橋)イカ天とかホコ天とかやっているうちに、だんだんと声を掛けてくれる人が出てきたりして、クラウンだったかな。
当時はバンドブームで青田買いの時期だったから、クラウンから新人バンド毎月か数カ月毎かで10タイトルリリースするとか、今では絶対に考えられないような企画があって。
そこの10タイトルのうちのひとつに選んでもらって、初めてCDを出すことになったんです。
当時のバンド名が、「MOTHERS」。
あの頃はバンドブームだったからバンドにはお金を使えって時代で、何の実績もないのにCDを出させてもらって。
覚えているのが「銀行強盗」ってタイトルの曲でCDを出すってなった時にクレームが来て、「銀行強盗ってタイトルではCDは出せません」って。リリースも決まってて、広告もうってある状態で、発売が中止になったんです。結果的に、曲を入れ替えてリリースは出来たんですけど。
昔の新宿LOFTでライブやってないのにずっと遊びに行ってて、自分はお酒が飲めないのにBARタイムに行くのが好きで、そこでLOFTの人と仲良くなって、入り浸ってた。
そこでG.D.FLICKERSを紹介してもらって前座をやらせてもらって。
メンバー全員が本当に舞い上がって、「君たち武道館で出来るよ」って言われて
高橋)下北沢の屋根裏でライブをやった時に、白髪のおじさんに声を掛けられて「すごいいいよ!俺と組もう」って言われたんだけど、「なんだこの胡散臭いおじさんは」って思ったんだよね。
それで話を聞いたら「自分は『りぼん』って会社をやってる」って言って、りぼんの奥田さんってRCサクセションが所属していたプロダクションの人で、「僕、奥田っていうんだけど」って言って「とにかく感動したから、君たちスターになれるよ。僕、RCをスターにしたし」って言ってくるから嘘だと思ったんだよね。
当時は、インターネットも無いから分からなくて、「りぼんの奥田さんって知ってる?」って音楽通に聞いたら「その人、とても有名な人だよ」って言われて。
そこから、りぽんに面倒を見てもらうようになって、奥田さんから「絶対にデビューさせてやる」って言われてたんだ。
でもその頃に清志郎さんが自伝の「GOTTA!忌野清志郎(忌野清志郎伝、角川文庫 1988年)」を出版して、その中にめちゃくちゃ奥田さんの悪口が書いてて「いかに自分は裏切られたか」って書いてあるのよ。
ただ、奥田さんってRCやってた人だって言うのがあるし、バンドメンバーみんなRCが好きだったので、「りぼん」とやるってなって。
一時期は面倒を見てくれていたんだけど、よくありがちな最初は熱量があるけど、2~3か月経つとだんだん無くなっていって、そうなると奥田さんとの仲もうやむやになっていて、結局何もなかったんですけど。
その時に分かりましたね。声を掛けられても、舞い上がっちゃいけないなって。
メンバー全員が本当に舞い上がって、「君たち武道館で出来るよ」って言われて。
「武道館だってよ!マジ、どうする?」なんて話をしてて。
(一同爆笑)
高橋)奥田さんとのことは本当にいい経験になったというか、そこであまりに舞い上がっちゃったから、それが無くなるとトーンダウンしちゃったんだよね。
MOTHERSの時に、Hi-STANDARDの横山健がHi-STANDARDを始める前のバンドとよく対バンをしてて、横山をよく知ってるから「今度LOFTでやるから出てよ」って言ったりもしてた。
今じゃ考えられないけどね。
ZEPPET STORE(ゼペット・ストア)とかも仲が良かったから、ハイスタとゼペットとMOTHERSがやったりとかしたんだよ。
「今日お客さん入らなかったね~」なんて話してた。
その頃グランジブームが来てて、ニルヴァーナとか激しくてメロディアスな音楽がすごくもてはやされてた時期で、パンクをベーシックにしている人たちがメインストリームに行っているのを見て、もっとハードな音楽をやりたいなと思ってMOTHERSを辞めて、新しいバンドを始めようと思いました。
当時、働いてたスタジオのお客さんで、良いなと思うバンドが解散しちゃって、そのボーカルの人に「僕と一緒にバンドをやりませんか?」って声を掛けて、SOUL SONIC FORCEってバンドを作ったの。
いかついバンドだったから自分だけ浮いてて、スタッフに間違われたり、メンバーなのに止められたりすることが多くて。
自分の中で何となく無理してる感があって、楽しくやってたんだけど自分に無い部分で、例えば上半身裸になって演奏したりだとか。
自分がもっと活きる場所があるんじゃないかなーって思った時に、のちにPEALOUT(ピールアウト)で組むことになる近藤智洋くんから連絡があったんです。
1ページ:バンド「BASIC」「image」「MOTHERS」「SOUL SONIC FORCE」期
2ページ:バンド「PEALOUT」期
3ページ:バンド「REVERSLOW」「HARISS」期
4ページ:現在、そして50歳を迎えるこれからについて
5ページ:いまさらだけど、高橋浩司に聞きたいことDQSメンバーが聞いてみた