<ドラマー高橋浩司50歳記念>全人生50年を振り返る渾身のロングインタビュー④現在、そして50歳を迎えるこれからについて
HARISSはいい意味で力の抜けた活動が出来ていて
高橋)HARISSはいい意味で力の抜けた活動が出来ていて、自分たちでやっているからお客さんが入る入らないっていうのは如実にお金の出入りで分かるし、自分たちでデモのCDを作って、台湾にプレス出して、流通も自分たちでやって。
LOFTにある「TIGER HOLE」ってレーベルの石川さんって人が、PEALOUTのライブ盤を出してくれたりしてて、「HARISSもうちから出そうよ」って言ってくれて、TIGER HOLEから3枚作品を出させてもらったんです。
HARISSはウッドベースではあったけど、ロカビリーな曲だけではない活動をしたいねって思って自分の事をバンドに誘ってくれたんだと思ってて、他のメンバーが出来ないブッキングを自分がブッキングして、自分が出来ないブッキングを他のメンバーが持ってくるから、始めた当初の頃はすごく面白いブッキングだったと思う。
REVERSLOWの匂いがするブッキングでHARISSがやるし、かといってサイドワンとかCOLTSがやってたブッキングでもやるし、そういう状態でTIGER HOLEから作品を出してた時は、面白い活動が出来てましたね。
ボーカルのAKIRAくんが書く曲が好きだったっていうのもあるし、SEIJIくんは「この人とバンドが組めたら良いな」って思ってた人だったし、YUJIくんはウッドベースなのに一番フラットっていうか、一番ロカビリーに拘っていい人なのにYUJIくんが一番自分を推してくれてたみたい。
YUJIくんのフラットさは本当に素晴らしいというか、こんなに柔軟な思想を持っているウッドベースのYUJIくんが居たから、HARISSが出来たんだなっていうのは、HARISSに入って分かった。
そんな感じで、メンバーそれぞれにリスペクトがあったんですよ。
TIGER HOLEから出した3枚目の頃には、AKIRAくんがライブ再現出来なさそうな曲を書いてきたりとか、行き過ぎてしまって解散の危機とかあったりして、これはバンドを立て直さないといけないぞってなって。
そんなタイミングの時に石川さんがTIGER HOLEを閉めてディスクユニオンに移ってて、バンドの気持ちを変えるためにアコースティックアルバムを出したいってなって思ってたら、石川さんからディスクユニオンで出してもいいよって言われて、PHALANX(ファランクス)ってレーベルからアコースティックアルバムを1枚出させてもらって、そこがまたバンドが一つになるきっかけになった。
余計なものが無く、アコースティックでやったから、この4人じゃなきゃ出来ないねってなって、まとまっていったんです。
「HARISSと解散って似合わなくないですか?」って言われて、ハッとしたんだよね
高橋)同じころに下北沢CLUB Queの二位さんから「レーベルをやってみないか?」って言われたんです。
二位さんとは、PEALOUTもREVERSLOWもHARISSも、とにかくCLUB Queにはお世話になって、ずっと出続けてて。
それもあって、レーベルって面白そうだなって。CDだけではなくて映像も扱ったりとか、CDマガジンを作ったり。
二位さんから「レーベル第一弾はHARISSでいいよ」って言われて。
レーベル名も考えていいって言われたから、自分がザ・クラッシュ(The Clash)が好きでそこから名前を付けたいなって思いがあって、「Look Here」って曲からもじって"見る・聞く"の「Look Hear Records」って名付けました。
そこからHARISSとレーベル業務が平行になって、レーベルの第一弾がHARISSで、第二弾では「見て聞いて楽しいのはDQSじゃないか」ってなったり、THE PRIVATESのトリビュート盤を出させてもらったりとか、CLUB Queで活動してたサクラメリーメンやフリサトのCDを出させてもらって。
HARISSが10年目を迎えて、だんだん歯車がズレてきちゃって、みんな生活もしながら音楽もやってて、40後半の歳になってて、自分が使える時間が限られてくる中で、本当にやりたい事しかやらなくなってきて。
AKIRAくんがどうしてもソロをやってみたいと言い出したんです。
AKIRAくんはブライアン・ウィルソンになりたい人だから、バンドに拘らず曲を書きたい、いい曲を書いて、曲が呼ぶパートで演奏したい。
例えばエレキギターとエレキベースかもしれないし、例えばピアノと歌だけかもしれないし、バンドである必要がないっていうのがあって。
それでAKIRAくんからHARISSと並行してソロをやりたいって言われたんです。
だけど、分けてやるって言っても、ソロにはこの曲、バンドにはこの曲ってやっても如何せん熱量の違いによって曲のクオリティに差が出てくるだろうし、今作りたい曲はソロだから、だったらHARISSを休んだ方が良いんじゃないかって。何となく、メンバーも過渡期に入ったなって思ってるし、バンドのために曲を作らなきゃって考えないで、ソロのためにだけ曲を書いた方が良いよって。
そこで、自分は休止ではなく「解散」を提案したんです。
PEALOUTの時も、活動休止にしなかったのは、活動休止って言ってしまうと待っている人が居るから、1%でも活動をしなければ待っている人を裏切る事になって、待っていた何年間を返せるのかって。絶対に再結成するって確信は誰にもないから、活動休止は俺の中では無いって。
いつ戻れるか分からないし、なんとなく誤魔化して活動するのは出来ないって言ったんだけど、その時にYUJI君が「HARISSと解散って似合わなくないですか?」って言われて、ハッとしたんです。
俺にはその観点が無かったって。
だから「YUJI君ごめん!無いよね、HARISSに解散って。HARISSに解散って言葉は似合わないよね」って話して。
その一言で救われて、素直にYUJIくんの言葉を受け入れられたんです。
活動休止するんだったら、HARISSのキャリア10年を総括したベストを出したいって思って、そしたら二位さんから「Look Hear Recordsで出しなよ。だけど新曲4曲入れてね」って言われて。
10周年だし元々O-WESTでライブをやる事は決まってたんですけど、そこに活動休止って冠が付いちゃって。
O-WESTで活動休止ってHARISSらしいけど、最後は賑やかに活動休止する方がいいんじゃないかって、CLUB Queを3日間借りて怒髪天 / LONESOME DOVE WOODROWS / Radio Caroline / ニューロティカ / THE NEATBEATS / THE PRIVATESが出演してくれて、HARISSが声を掛けた人たちがみんな集まってくれて、HARISSの10年はちゃんとやってこれたなって思いましたね。
「HARISSの感謝祭」って名前でやって、HARISSを一回終われたんです。
「好き好き」って言い続けることが好きなものにたどり着く一番の近道
高橋)いま、AKIRAくんはソロプロジェクトで「AKIRA WILSON」って活動をしてて、the pillowsの真鍋さんと、PIGGY BANKSでベースを弾いてるMARCHと僕で、AKIRAくんの楽曲をやるソロバンドって形になってたり。
YUJI君とSEIJI君は少林兄弟ってグルーブで活動してる。
良い別れ方をしてるというか、お互いの動向は気になるし、俺とSEIJIくんが一緒にやったりもしてるので、HARISSは良いお休みの仕方が出来てるなって思います。
結果的に、休んだから今の活動が出来てるんだろうなって思うし。
HARISSをやってる時から矢沢洋子ちゃんとも知り合って、洋子ちゃんのバンドでドラムが居ないってなって、メンバー全員知ってるのもあって男の自分がガールズバンドに入る事になったり。
DQSもやってるしね、PEALOUT以降はフラットに活動出来ているというか、自分を必要としてくれる人には応えたいなって気持ちがあるし、あと自分がやりたいなって人には自分からアピールしていこうと思って。
あとは、好きだってことは常に公言していこうと思って、そうすると必ず誰か繋げてくれる人が現れてくるので。
「好き好き」って言い続けることが好きなものにたどり着く一番の近道だって思いがありますね。
HARISSもDQSもPIGGY BANKSもフラットに活動が出来ていて、すごく楽しく出来てる。
ある意味、背負うものが無いからなのかもしれないけど、美学よりは自分が楽しく叩けることが大事。
年齢も関係してるのかなって。
20代の頃はそんなこと思わなかったし、REVERSLOWを辞めた時は自分の美学だったけど、今は全然違う。
50を過ぎてから自分探しをするのかな(笑)
-これからの高橋浩司はどのように活動していきたいですか?
高橋)50歳はひとつの区切りだなと思ってます。
50まで楽しく叩けてたっていうのは音楽人生において良かった。
これからは自分の人生について考えていきたいと思ってて、もちろんドラムは叩いていくけど、ドラム以外に何か仕事をしたいと思ったらすぐにするだろうなって思うし、それによってドラムを叩く回数が減ったとしても、今後の人生においてプラスになると思ったら自然にスライドしていきそうな気がします。
叩かなくなるってことではなくて、ただ、叩くことが最重要ではないのかなって。
もちろん、いくつになっても叩きたいって気持ちはあるんですけどね。
50を過ぎてから自分探しをするのかな(笑)
50までは音楽しかなかったから、音楽以外に自分の可能性があるのかなって、まだ自分に伸びしろを感じてるんだよね。
だから、全然違う仕事をするかもしれないし、50歳以降の自分に対する比重がすごく変わるのかもしれないなって漠然と考えてます。
音楽を50になるまで出来てきたからこそ、これからの自分も何か出来そうな気がするんですよね。
50まではドラムを叩くことが人生の主軸で、他の事はどうしてもドラムを叩いたうえでの何かだったから、そこを取っ払った場合、人生の選択肢ってもう少し広がるのかなって。
例えばレーベル業務もそうだし、やっぱりバンドありき、ドラムありきでやっている分、二番煎じで自分でも出来ていない感じがすごいあるんです。
それ以外の可能性を自分で潰してきた気もしてて、50に向けて最近思うことですね。
-50祭、楽しみですね!
高橋)12月にやる50祭のイベントも、自分がやりたい人みんなに声を掛けようと思ったんです!
でも、PEALOUTをやるって言うのは、自分の選択肢としてちょっと違うなって思いがあって、たぶんそこでやるべきではないなって。
とはいえ、近藤くんとはプレイヤーとして一緒にやりたいから、声は掛けてるんですけど。
イベントでは1日に3組みずつ叩くんで結構頑張らないといけないんですけど、まぁ楽しもうかなと思って。
自分の次のステージに向けて、悔いのない2日間にしようと思ってます。
-最後にメッセージをお願いします
高橋)みんなも50歳になりたくなるようなイベントにします!
1ページ:バンド「BASIC」「image」「MOTHERS」「SOUL SONIC FORCE」期
2ページ:バンド「PEALOUT」期
3ページ:バンド「REVERSLOW」「HARISS」期
4ページ:現在、そして50歳を迎えるこれからについて
5ページ:いまさらだけど、高橋浩司に聞きたいことDQSメンバーが聞いてみた