<単独インタビュー>劇団SET野添義弘「歌って踊ってアクションして劇団員として何かひとつでも見せるものを提供する人間の集団がSETじゃないですか。SETだから俺37年居ると思うんですよ」還暦記念一人ミュージカル・アクション・コメディー『その夜、カレーライスができるまで』6月27日からOFF・OFFシアターにて上演

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三宅裕司が主宰し、今年で創立40周年を迎える劇団スーパー・エキセントリック・シアターの劇団員・野添義弘。

設立3年目に入団し、今年で劇団員生活37年、そして還暦を迎えた野添が自身初のひとり芝居「野添義弘還暦記念 一人ミュージカル・アクション・コメディー『その夜、カレーライスができるまで』」を下北沢のOFF・OFFシアターで6月27日より上演する。

これまで、ドラマ「ワカコ酒」の大将役や、ドラマに数多く出演し、堤幸彦監督の作品では、舞台「スペクタクル時代劇『真田十勇士』」や舞台『魔界転生』にも出演するなど、所属している劇団SET以外でも数多く活躍している野添が、還暦を機に初めてのひとり舞台にチャレンジした理由は何なのか。

一念発起の理由や、劇団生活37年を振り返り、野添義弘という俳優がどのような人物なのか、インタビューを行った。
三宅裕司さんや小倉久寛さん、そして劇団や後輩たちに対する思い。
堤幸彦監督との出会いや、これからの事について、芝居と同じくらいの時間をかけて語っていただいた。

劇団SET入団のキッカケや当初の劇団の様子について

劇団SETに入るキッカケは?

元々僕は大阪出身なんですけど、大阪でスーツアクターの仕事を5年位してたんですよね。
その仕事で地方に行ったり西日本各地を回って、スーパーやデパートの屋上などで色んなキャラクターショーをやっていました。

ヒーローショーは決められたパターンがあるわけです。
それをずっとやっていると自分たちも飽きてくるので、勝手にオリジナルを作って博士が出てきたり地球防衛軍を登場させたりしてたんです。
それをやっていくうちに、「お芝居っておもしろいのかな」って思い始めて、芝居をやるには大阪に居てもダメだよなって思いだしたんですね。

当時はヒーローショーとアイドルのミニコンサートが行われていることがよくあったんですけど、まだ高校生だった川島なお美ちゃんと仲良くなって、マネージャーさんに「東京に行きたいんです」と相談したら「うちの事務所においでよ」って誘われて、それをキッカケに東京に出てきて、半年間、川島なお美ちゃんの現場に付いてました。

そこから半年後くらいに、自分でもどこかないかなって探し始めた時に、当時のSETのアクションの振付をしていた先生のアシスタントをしていたのが、僕と大阪でスーツアクターをやっていた知り合いだったんです。
たまたま彼と連絡をとる機会があって、相談をしていたら彼が「いまSETっていう劇団で、うちの先生が振付をしてるんだけど、どう?」って話をもらったんだけど、当時はまったくSETの事は知りませんでしたし「え!劇団?」みたいな感じで、全然イメージが沸かなかったんですよ。

関西ではあまり劇団って聞かないので、だから吉本とか松竹とかみたいな感じだったんです。
それでもその彼が「その劇団もアクションやコメディーもやってるし、野添はアクションをやっているから面白いと思うし、観るだけ見たら?」って言われて、池袋のシアターグリーンに行ったんです。
その時にやっていたのがSETの代表作「リボンの騎士」でした。

もう腹を抱えて笑って、終わった後にここでやりたいなって思って、三宅裕司さんと山崎大輔さんを紹介してもらって「だったらオーディションを受けてください」って言われて、受かって、それから37年経つんです(笑)

1982年に入団されましたが、劇団が創立して3年目くらいですよね。その頃のSETは、どんな感じでしたか?

劇団員が15人から20人くらいで本当に小さくて、「ミュージカル・アクション・コメディー」と謳っているものの、踊りをずっとやっていた人が居る訳でも無いし、アクションも専門的にやっていた人も居ないわけですよ。
だからそういう意味で言うと、専門職をやっていて劇団に入ってきたのは、たぶん僕が最初じゃないかなと思います。

僕はアクションをガッツリやっていて、オーディションでアクションを見せたことで合格してますから。
他の歌とかセリフとかは絶対に受からないくらい、ものすごい下手くそだったので、オーディションの最後の三宅さんが「特技はありますか?」って聞いてくれて「アクションやってました!」って披露したんですね。それが良かったみたいです。

その時、小倉久寛さんも同席されていて、小倉さんに相手役をやってもらって、僕がやられる役をやったんです。
それを見せたので、たぶん「お、こいつアクション出来るな。使えるんじゃないかって」思ってもらって合格したんだと思います。
そこから気が付いたら37年です(笑)

ヤンパラ(※)で三宅さんはじめ、SETの知名度が上がり、人気劇団になっていきましたよね

僕が入団する前はまだ人気は無くて、みんなバイトをしてました。

僕が入ったころからちょっとずつ人気になってきて、シアターグリーンで10日間くらい公演していたのがパンパンに入りきれなくって、渋谷ジャンジャンに行って、新宿モリエールに行って、千石の三百人劇場に行って、ここで初めてロビーがあって客席が付いている劇場だったんです。
それから、本多劇場に行って、サンシャイン劇場に行って、青山劇場に行って、東京芸術劇場に行って、今のサンシャイン劇場になったんですよ。

だから僕が劇団に入団して、SETがどんどん人気になって、三百人劇場に行った時に三宅さんがヤンパラをやり始めた感じです。
僕が入って2年目に岸谷五朗ちゃんが入ってきて、あくる年に寺脇康文が入ってきて、山田幸伸も入ってきて、3人で「SET隊」っていうコントグループを作ってヤンパラにも出て、劇団が上り調子になっていきました。

「ディストピア西遊記」の三百人劇場が終わった頃くらいにドーンと。
その後から、日テレさんとかTBSさんとかで、夜のバラエティー番組をやったりして更に上がっていった感じですね。※ヤンパラ:1983年5月から放送を開始したニッポン放送のラジオ番組「三宅裕司のヤングパラダイス」。2代目MCとして1984年2月から三宅裕司が担当し、一台ムーブメントを作る。1990年3月に終了。

この頃には小劇場ブームがあったかと思いますが、劇団SETは他の劇団とか異なる売れ方をしていたんじゃないですか?

そうですね。
僕が入る前の「シアターグリーンフェスティバル」があった時に、SETとか劇団東京ヴォードヴィルショーとか、劇団東京乾電池とか、劇団青い鳥とか、劇団3○○なんかが人気があったんですよね。

だけどSETは、公演前に内容をあまり公表しないので、当時から演劇雑誌にあまり載らなかったんですよ。
他の劇団は公演の度に、あらすじの話とかで取り上げられていたけど、SETはどんな話かも雑誌に載せて宣伝とかもしなかったので、劇団としては人気があってお客さんも入ってくれていたんだけど、あまり演劇雑誌にSETが載ってなかったんです。

三宅さんの中で、公演を打つ前に内容をあまり知られたくないっていうのがあるんじゃないかな。
今でもたぶんそうですよ。
あまりSETって公演の宣伝で内容を伝えたりすることって、今でもあまりないじゃないですか。
番組に出ててもテロップで概要が写るくらいですよね。

観に来てくれるお客さん、電車代を払ったり自分から交通費を掛けて劇場まで足を運んでいただいて観て下さるお客様のために、そうじゃない人にはあまり情報を提供しない。
観に来てくれた人だけの特権みたいな。

だからうちの劇団は絶対にDVDを売るとか、台本の戯曲集を作って売るとか一切しないじゃないですか。
それも、座長の意思だと思うんですけどね。
他の劇団だとDVDを売っていたり、劇団員の写真集を売っていたりとかね、それはそれで戦略だと思うんですけど、SETに関しては内容に関するものは告知や物販も無かったし、全部隠して初日に解禁って感じですよね。
それは、昔から変わらないかな。

技斗・野添義弘について

技斗としてSETや、外部公演などでも教えられていますが、この流れはどのような経緯ですか?

基本的には役者がメインなので、裏方的な仕事をやるのはあまり好きじゃないというか。
SETの本公演で殺陣を付けたのも、本当は僕じゃなくて振付の先生がいらしたんです。

僕が劇団に入った時も僕にアクションを教えてくれた大阪時代のアクションチームのリーダーが振付の先生に「SETで教えてもらえませんか」ってお願いをして、振付をしてもらってて、僕が入団して2年くらいはその先生が本公演の振付もされてたんです。

でも三宅さんの頭の中に、今後は劇団員で全部賄えるようにしたいという思いがあって。
それはアクションの振付も、踊りの振付も、徐々に劇団員で出来るようになっていきたいんだっていうところから、振付の先生に「これからは野添にやらせたい」って話をして、それから僕がやるようになって、その後はずっと僕がアクションの振付をやってるんです。

入団してから映画で堤幸彦監督と巡り合うんですけど、その中で「野添さんアクションやってたんでしょ?」って言われて、堤さんから「自分の舞台で振付をやってよ」って頼まれてちょっとやってっていう感じで、知り合いを通じて依頼されたときにやる程度なんです。
本当の殺陣のプロとして、もうひとつそういう職業をやっているっていうことではないんです。

今で言うと、ラサール石井さんが演出されている舞台で振付を頼まれたりするんですけど、これはお知り合いなのでやらせてもらっているんです。
会社的に営業して、「野添がアクションの振付も仕事としてやりますよ」っていうことはコンセプトとしては無くて、知り合いと言うか身内というか、そういう人たちに頼まれたものだけをやっています。

いま振付をしていることを疎かにしている訳では無いんですけど、全然違う外部からこういう話をもらった時に本気でやっていかなければならないので、とても大変なんですよ。
役者という仕事が出来なくなっちゃう可能性があるので、それはちょっとヤダなと。

「役者」という基本ベースをやりながら、自分が出来る範囲でアクションの振付をやるってなると、知り合い程度までに納めておいた方がいいかなって思ってます。
堤さんが演出された舞台の『真田十勇士』とか『魔界転生』なんかで、JAE(ジャパンアクションエンタープライズ)が振付にきてくれているのを見てると本当に大変なんですよ。
すっごい大変なの。

そういう事までやらなきゃいけないなと思うと、そうしたら役者出来ないなって思って、じゃあどっち取るの?ってなると、役者をやるために東京に出てきたので役者が優先になる。
殺陣の振付を本職として役者と同じような比重でやっていくのは難しいし、そうもしたくないなって思っているので、制限を掛けている感じです。

ですので劇団の公演と、ラサール石井さんに頼まれたらやるのと、他に知り合いから頼まれたら「ベタ付きは出来ないので振付当日と振り固めに行って、ゲネプロと初日に行ったりする程度ですけど、それでもいいですか?」ってお伺いを立てて「それでも是非」と言ってくれたらやらせて頂く程度です。

堤幸彦監督との関係性

堤幸彦監督の映画や舞台作品にも多く出演されていますが、きっかけを教えて頂けますか?

これは、SETと繋がりがある放送作家さんがいらっしゃって、その方が映画の本を書いて、それを監督するのが堤さんだったんです。
緒形拳さん主演の「さよならニッポン! 」っていう作品です。

その作家さんが僕を気に入ってくださって、作家さんが堤さんに推してくださったんです。「SETの野添っていうオモロイ奴がいるんで入れてやってくれませんか」って。
それで映画に出させてもらって、そこから堤さんとのお付き合いが始まったっていうのが、きっかけです。

未だに分からないんです、堤監督が僕の何を気に入っていただいたのか(笑)
そこから何かある度に監督が呼んでくださって監督の作品に出させてもらっているので、もう20年以上ですかね。

今回のひとり舞台でもコメントをいただいていているんですけど、コメントをいただいたのはすごく早かったんですよ。今から2~3か月前にはありました。
監督からも「色々と撮ったりするよ」って言っていただいていたんですけど、「監督にそんな迷惑掛けられないです」ってお断りしたんです。
なので今回はコメントをいただいて、あとは初日のアフタートークに出演してもらえることになりました。

だから堤監督には足を向けて寝ることが出来ないくらいお世話になっていて、本当にありがたいですし、お礼しかないです(笑)映画とかドラマとか出させてもらった後に、堤監督が自分で「劇団『tsutsumizo teatro』」「演劇ユニット『TUTUMI’S LINK』」をやっていらしたんです。
堤さんの劇団は、映画やドラマで堤さんが可愛がっている若手の役者をを集めていたんです。

僕が、その劇団の小劇場でやっている舞台を観に行ったんですよ。
観に行って終演後に挨拶をしたら「来年出てくれないかな?」って仰っていただいて、後の『ISIKARI』っていう舞台に出たんですけど、僕の他に佐々木蔵之介君と佐藤二郎ちゃんと3人がゲストで出させてもらったのが最初かな。

その流れでそれ以降の堤劇団に声を掛けてもらえるようになり、『明解 日本語アクセント事変』という芝居では、僕と、半海一晃、多田木亮佑が出てて、たまたま3人が同じ50歳だったんです。
そこで「みんな同じ歳じゃん。半世紀生きてきたし同級生で揃ったから3人で記念に芝居やろうよ」って話になったんです。
でも、堤監督の作品で知り合った3人だから「堤さんにも一応話を通しておいた方が良いよね、勝手にやっちゃうと怒られちゃうよね」って事で堤監督に「僕ら50歳の同じ歳なので、一緒に舞台をやろうと思います」って話をしたら「じゃあ俺が演出やるよ!」って事になって、出来たユニットが「キバコの会」なんです。

そんなこんなで堤監督とは演劇ユニットまで作っちゃうし、どんどん深く関わっていったんですよね。

僕たちだけだったら小さいままだったと思うんですけど、堤監督が3人の中に加わってくれたお陰で、監督の影響力で「キバコの会」は凄い事になっちゃたんです。
色んな方にゲストで来ていただいて、初演の時は戸田恵子さん、2回目は三浦理恵子ちゃんと真野恵里菜ちゃん、3回目はEXILEのKENCHI君。
4回目は再演で、日替わりゲストに三代目 J SOUL BROTHERSのNAOTO君とか、戸田恵子さんや、うちの小倉さんも来てくださったりして、活躍している有名な方に来ていただけるのも堤監督が演出されているからですよ。
俺たち3人でやってたら、そんな人たち呼べるわけもないので、そういう意味でも堤監督にはお世話になりっぱなしで、いまも続いています。

今回の舞台にもコメントを寄せて頂いたりとか、アフタートークに出て頂いたり、感謝しかないです。
何も恩返し出来てないからね(笑)

自分は恩を借りてばっかりです。
三宅さんもそうだし、ラサール石井さんもそうだし。
だから自分の中でなくてはならないお三方です。


■キバコの会「素。」
2009年5月:ザ・スズナリ、愛知県芸術劇場
演出:堤幸彦、脚本:佃典彦
出演:半海一晃、野添義弘、多田木亮佑、柳田衣里佳、戸田恵子

■キバコの会 第二回公演「フォトジェニック」
2010年4月:ザ・スズナリ
演出:堤幸彦、脚本:福田雄一
出演:半海一晃、野添義弘、多田木亮佑、真野恵里菜、街田しおん、白石朋也、三浦理恵子

■キバコの会 第三回公演「ギターを待ちながら」
2012年2月:赤坂レッドシアター
演出:堤幸彦、脚本:佃典彦、音楽:武内享
出演:半海一晃、野添義弘、多田木亮佑、真野恵里菜、街田しおん、白石朋也、三浦理恵子、KENCHI(EXILE)

■キバコの会 第四回公演「ギターを待ちながら」~やったぜ!本多スペシャル!~
2013年2月:本多劇場
演出:堤幸彦、脚本:佃典彦、音楽・演奏:武内享
出演:半海一晃、野添義弘、多田木亮佑、真野恵里菜、街田しおん、白石朋也、KENCHI(EXILE)、三浦理恵子
ゲスト:夜ふかしの会、新垣里沙(ex:モーニング娘。)、小川麻琴(ex:モーニング娘。)、小倉久寛、田中れいな(モーニング娘。)、NAOTO(EXILE)、戸田恵子、藤井尚之

■キバコの会 第五回公演「KAKOCHI-YA」
2014年9月:赤坂レッドシアター
演出:堤幸彦、脚本:井上テテ、音楽・演奏:武内享
出演:半海一晃、野添義弘、多田木亮佑、真野恵里菜、白石朋也、矢吹春奈、信川清順、中村貴子、藤田知美、齋藤智美、高垣彩陽、三浦理恵子