Act Against AIDS「THE VARIETY」に感謝!フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表 赤尾和美さんインタビュー

Act Against AIDS「THE VARIETY」チーム
24年間23ステージでトータル「1億3431万7551円」集める

(c)AAA運営事務局

世界エイズデーの12月1日に合わせて行われるAct Against AIDS「THE VARIETY」(AAA / アクトアゲインストエイズ)。

俳優の岸谷五朗さん、寺脇康文さんの呼びかけで、昨年も日本武道館にて開催。
ミュージシャン、俳優、お笑いなど、23組56名の豪華アーティストが集結し、一夜限りのエンターテインメントショーをこの日集まった9000人に披露されました。

【AAA2016】岸谷五朗&岸谷香 初共演、三浦春馬&小池徹平 大熱唱、大黒摩季 総立ち「ら・ら・ら」

2016.12.03

イベント中盤、毎年恒例となっているAAA報告のコーナーでは、お客様からいただいたチケット代でどのような活動ができたのかを報告している。
収益金は国内外のHIV感染者・患者への支援やエイズ基礎知識の啓発資料の制作費などにあてられ、2015年のAAAチケット収入で1203万2858円。
24年間23ステージのトータルで、1億3431万7551円が寄付されたことを報告。

収益金の一部が「フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN」へ

フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANは、アジアの恵まれない子どもたちの医療支援を行う団体です。
Act Against AIDS「THE VARIETY」チームにおける収益金の一部はフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANに寄付され、ラオスにある「ラオ・フレンズ小児病院」の病棟建設費や医療費、および運営費として利用されています。

フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN代表・赤尾和美さんインタビュー

フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPANに取材を申し込んだところ、普段はラオスの「ラオ・フレンズ小児病院」にて活動されている代表で看護師の赤尾和美さんが偶然に一時帰国中とのことで、インタビューをさせていただけることになりました。

ラオスの様子や、Act Against AIDS「THE VARIETY」チームの収益金がどのように使われているのかなど、実際に現地で活動されている状況をお伺いしています。

赤尾和美さんプロフィール

看護師、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN 代表。
杏林大学看護専門学校卒業。看護師免許取得後、臨床経験を経て渡米。
アメリカ合衆国ハワイ州看護師免許取得。
ワイキキ保健センターでHIV専門クリニック、HIV専門団体にてHIV/AIDS予防教育担当として勤務。
1999年にアンコール小児病院ボランティアとして、カンボジアに2か月滞在。
2000年より2013年4月まで、同病院にてHIVと訪問看護の専門家として従事。

2009年よりフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN事務局運営責任者、副代表となり、2016年より代表を務める。
2011年4月より武蔵野大学通信制にて心理学専攻。
2013年3月に心理学学士、心理認定士資格取得。
2016年に看護学学士取得。

フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーJAPAN HPより引用

赤尾さんがHIVと関わりを持たれた経緯は?

まだ日本ではHIVがまだゴシップ的な扱いをされていた頃に、ハワイである友人が出来ました。
その友人がエイズ団体のボランティアをやっていまして、私も興味を持って参加するようになり、HIVに感染している方と会うようになってからですね。

エイズのボランティアを自ら探していた訳では無く、流れで。
でも、そこからは何故だかずっとエイズに関わるようになっていった感じです。

ラオスの「ラオ・フレンズ小児病院」ではどのような活動をされていますか?

開院してからは、私は訪問看護を専門にやっています。
カンボジアで活動をしている時に訪問看護が重要だと感じました。
訪問看護を始めて分かったのですが、患者さんが″お薬を飲まなければいけないのに飲めない状況″だったりするんですね。
それは、患者さんのお家に行ってみるまで分からないことでした。

ですので、HIV感染症の子供たちには家庭でのフォローアップがとても重要だと思い、ラオスでも同じように訪問看護をやらせてもらっています。

ラオスの現状は?

私はカンボジアに2014年頃まで居たのですが、カンボジアの発展はとても早かったんですね。
それと比べますとラオスは進みがとても遅くて、東南アジアの中でも隔離されてしまったと言ったら言い過ぎですけれども、色んなものが遅れてしまっています。

例えば、5歳以下の死亡率が子供の健康の指標として出されているのですが、私がカンボジアに居た1999年当時、1000人の子供に対して5歳のお誕生日が迎えられない子供の数が120人くらいでした。
いまのカンボジアはこの数字が下がってきていて、40人程度になりました。
それがラオスの場合、1999年も今もあまり数字は変わらずです。
1999年当時はカンボジアの方が高かったのですが、現在はカンボジアの数字がぐんと下がったのでラオスが追い抜いてしまった。
ラオスは改善が見られず平行線のままになっていたんです。

ラオスで病院を始める前、視察で何回かラオスに行った時に、表面上はカンボジアよりも状況が良いんじゃないかなって思ったんですね。
それが実際に病院が出来て村に行き始めたらば、かなり状況が悪かった。
原因のひとつに地形がありまして、山なので舗装もされておらず、移動する足もない。
ですから、どこに行くにも大変になってしまい、医療が届かないところが出来てしまう。

いつも言うのが「医療の遠さ」、距離が遠いって言うんですけれど、それが物理的な距離だけではなくて、経済的なことだったり、社会的なものだったり、文化的なものだったり。
色んな面で遠くなっていると考えると、ラオスは東南アジアの中でも比較にならないくらいものすごく遠いかなと感じます。

共産国なのでみんな平等にお金が入ってくるようなイメージがありますけど、貰っている人は沢山もらっていて、無い人は本当に無いという状況があって、格差は大きいですね。

ラオスの病院の状況はいかがでしょうか?

私たちが病院を始める際、予算を考えるのでまずはスタッフのお給料を決めました。
そのお給料は、公務員のお給料をベースにして格差が無いようにしたんです。
そしてそのお給料の額をスタッフに伝えたところ「これじゃ少なすぎる」との声があがりました。
こちらとしては、政府から出された数字を基に同じくらいの水準で出していたのですが、スタッフからよく聞くと「チップの分が含まれてない」って言うんです。
まわりの病院では医者が患者にチップを要求するんですね。

これはカンボジアも当初は同じだったのですが、患者側も医者にお金を出せば良い医療を受けられる、こちらに目を向けてもらえるという習慣があったんです。
じゃあ、お金を出せばそれなりの質の医療を受けられていたかと言うと、そうでも無いことが多々あって。
だから、医療倫理のところですよね。
命をどう捉えるとか、目の前に居る人を自分の家族として診ることが出来るかどうかってところで。
それは無いんです。
自分の子供だったらもっと大事にするかもしれないけれども、目の前の子供は自分の子供ではないので。

ですので、うちの病院では心のこもったケアを誰でもすべての子供たちに、すべての家族に提供出来るようにって、本当に口を酸っぱくして言ってますし、団体のミッションとしても掲げているので、その点では他の病院とは違うと思います。

文化を変えるのは難しいですね

難しいですね。
ひとりでは難しいし、ひとりが色んな所に行って「あーしろ、こーしろ」と言ったところで何も変わらないかなと思うので、将来的には私たちの病院が情報発信できる場所になって、ラオスの国全体が少しずつ変わっていくような、大きなゴールは持っていたいと思います。

ラオ・フレンズ小児病院のスタッフが一丸となって取り組んでいかないといけないんですね

いまは院内のラオス人のスタッフ教育にフォーカスしていて、後々はうちの院内スタッフが外部の医療従事者を教育して、倫理が大事だという事を伝えていけるようにしたいですね。
「病気を治せば良いということではないという『医療』」を伝えていける人材を育成していきたいと思います。

ラオ・フレンズ小児病院に、HIV感染症以外の来院はどのような方が多いですか?

栄養失調がすごく多いですね。
それは栄養失調だから病院に来たのではなくて、何か別なことで来院して診たら栄養失調もあると分かる事が多いです。
栄養失調は慢性的なことが多いので、急激に具合が悪くなったりはしないんです。
ですので家族もあまり意識をされてなくて、自分の子供が平均と比べて大きいのか小さいのか認識していなかったり、小さくてもとりあえず歩いているしどこも痛くない。
栄養失調は目に見えないし、栄養失調と認識するまで時間が掛かってしまうので、生活改善をしないといけないことなのですが、改善に至るまでとても時間が掛かってしまいます。

あとは火傷や骨折も多いですね。
交通事故ですとか、骨折しても治療せずそのままにしていて内部で炎症を起こして骨自体に感染してしまったり。
手当をされなかったので、色んなことが起きてしまっているケースもあります。

また、遺伝の血液疾患があるのですが、それによって貧血状態になっていたりとかですね。
この血液疾患については、いまクラウドファンディングをしていて、治療体制を整えようとしています。

クラウドファンディング:「難病の血液疾患・サラセミアと闘うラオスの子どもたちを救いたい」

「Act Against AIDS」が1993年から始まって20年以上になります。日本ではエイズに対する知識は高まっていると思いますが、HIV感染者の数は増えています。このことについてどう思われますか?

先進国の中で、日本は唯一増えていますよね。
絶対数が少ないからと言うので、「自分の問題」とせず「誰かの病気」としていることが昔から言われていますけど、ずっと変わっていないのかなって思います。
「まさか自分が?」って思っていることもあるのかもしれないですね。

私が一番最初にHIVの検査をした時は、すでにエイズのボランティア活動をしていたので他の人よりはHIVの認識は高かったと思います。
でも実際に検査をする時になって、「あ!自分にもリスクがあった」って気が付いたんですね。

分かっていたはずが、自覚をするというところに至るには時間は掛かったし、何か「気付き」が無いと自分に戻ってこないんだなって。
何がいけないとか、こうしたら感染するとの知識はあっても、それが咀嚼されないと自分のものに取り込めないと感じました。
自分はものすごく知っていたのに、検査の結果が出るまで怖かったですよね。

ラーニングモーメントって「学習の瞬間」と言いますけど、自分が認識する瞬間って言うのは、自分が実感しないとないんだなって感じました。

ラオスにおける「HIV」の認知度は?

まだ低いですね。
私たちが患者さんを診た時に「HIVかな?」と思って「HIV検査をしますか?」って聞くんですけど、まず先にその患者さんがHIVに関してどれくらい知っているかを確認するんですね。
そうすると、ほぼゼロって人もたくさんいます。

「聞いたことがありますか?」って尋ねると「聞いたことはあるかもしれないが、それが何なのかは知らない」と。
ラオスでは、少数民族がたくさんいらっしゃるので、少数民族の中ではラオス語ではなくその民族の言葉じゃないと通じないこともあり、ラオス語で啓発活動をしていても、それを認識していない人が沢山いるかもしれないです。

また、少数民族の人たちが山で暮らしていると、情報が入りにくいのも原因の一つかなと思いますね。
村の中から出たことが無い人もたくさんいますし、そうなると村の中が全てですから、村の中に無い情報は皆無になってしまう。
ですので、HIV検査の時に説明をしても「どれくらい知っていますか?」というところから始めるようにしています。
あとはHIVが「都会の話」として他人事になっていることもあるかもしれないですね。

HIVの感染経路はどのようなものですか?

私たちが診ているのは子供なので、母子感染だと認識しています。
では、お母さんはどこから感染しているのかと言うと、出稼ぎで性産業に従事した時か、旦那さんが何処かで感染していてうつしてしまった可能性があります。

自分がHIVに感染しているかどうかわからないと、妊娠してそのまま出産して、母子感染をしてしまう。
予防をすれば、子供にうつす感染率は下がるんですけど、自分に認識が無ければ予防もしないので、結果的に子供にもうつしてしまったって事ですね。

先ほどもお話しましたが、ラオスの人たちは事実に直面したくないんですね。
「HIVの陽性ですよ」とお話しても「そんなはずはない」って認めないんです。
お母さん自体が具合が悪くなってお薬を飲み始めて元気になると、どこかに行ってしまって連絡がつかなくなってしまう。
また具合が悪くなって病院に戻って来た時には手遅れになって薬が効かなくなっていることもあったり。

カンボジアの時には、患者がどこかに行ってしまうという事はあまり無かったんですね。
ラオスに行ってからHIVに関わるラオス人のドクターと話をしていても、それが私だけの感覚ではなく、彼らからも聞いています。
逃げて消えてしまう、家族にも誰にも言わない知らないっていう状況が結構ありますので、難しいところですね。

カンボジアとラオスで、そのような違いがあるんですね

私も分かりませんでした。
最初に視察でラオスに行ったときはHIVに興味がありますし、プロジェクトを立ち上げたらどのようにアプローチしたら良いかなって考えたのでデータを頂いたりしたんですけど、データサンプルの数が少なかったんですよね。
政府保健局のHIV感染症管轄部署で、「HIVの感染は少ない」「予防もしっかり出来ている」と聞いていたので、これから増えていくことは無いかなと思っていたら、ここ最近数字が上がってきていて、HIVクリニックのドクターと話をすると患者が居なくなっていると聞くので、実際にデータで出ている数と言うのはホントに一部で、潜在的にはもっといるかもしれないし、判らない所でたくさんの子供たちが亡くなっているかもしれない可能性があるんだなってことが見えてきました。

いまのラオスは20年前のカンボジアと同じですね。
まず子供の感染が最初に分かって、次に家族全員が感染していることが分かるって状況です。
カンボジアはその後、予防だとか啓蒙活動が進んだので「私たちは感染しているので子供を検査してください」って言うケースが増えてきたんですね。
ラオスもカンボジアと同じようなペースで進んできているのかなと思ったんですけど、フタを開けてみたらそうでは無かったなと実感してます。

カンボジアでHIV感染者が減っていったのは、何か特別な事をしていたのでしょうか?

撲滅にかなり力を入れていました。

カンボジアは、HIV感染者の増え方が異常に上昇したんですね。
これは何とかしなければマズイぞという事で、当時は色んな財団から資金が入ったのでカンボジアの国も力を入れていました。

私がいた当初は病院でHIVの検査体制も無かったですし、陽性と分かったところでHIVに効果がある薬が無く、何も出来なかったのですけれど、何年かしてから大人の治療が出来るようになって、その後に子供の治療が出来るようになりました。
薬も政府から提供されるようになったし、撲滅への進みは結構早かったかなと。

あとは国民性もあったかもしれません。
感染している人が立ち上がるのが早かったです。
「私は感染してます」「だけど早く検査をして早く薬を飲んだので今でもこんなに元気です」と感染している人たちの「ピア・エデュケーション(仲間教育)」がオープンにされるようになったのは大きかったと思います。

ラオスでもピア・エデュケーションのグループがあるんですけど、その人たちはすごく優等生なんですね。
そのグループから漏れている他の感染症の人たちを引き込むというところまではまだ出来ていなく、隠し通している人たちがたくさん居るので、そこの壁がもう少し崩れてもっと広くなれば良いのかなって思います。

カンボジアの病院では常時600人近くのHIVに感染した子供たちが登録されていて、日々10~20人ほどの患者さんが600人の登録の中からフォローアップの診療に来ていましたので、距離感が近かったですよね。
HIV感染という事と人々が近くなるのも早かったかなと思います。

カンボジアの病院では、HIV感染の啓蒙活動の一環でHIV感染者の雇用促進を行っています。
陽性になっているお父さんお母さんを病院スタッフとして雇用して、感染した子供を持つ家族のピア・エデュケーションとしての教育システムを作ったので、病院の中でも感染症に対して距離感は近かったですね。

私もそうでしたけど、実際に患者さんに会うまでは思考の中に入ってきていないというか、どこか別のところって感じがしていましたので、近くになる事で自分にも振り返られるしオープンにもなれる。
多くの人に知ってもらえるチャンスにもなるのかなと思いますね。

ひと昔前は「エイズ=死」との認識でしたが、現況はいかがですか?

いまは「イコール死」ではなく、慢性病ですね。
私がカンボジアに居る当初から慢性疾患の域に入り、長く生きられるようになりました。

カンボジアの病院は出来て18年経っているので、感染していた赤ちゃんが成人して看護師さんになったりとか、病院で働いていたりとかしています。

私は、お母さんも娘もHIVに感染をしている1家族を面倒見ているんです。
一番最初に病院に来はじめたのは娘の年齢が1歳か2歳の時だったと思います。
いまでは15~6歳になっているんですけど、あの当時はここまで長く生きられるとは考えられなかったですね。
ちゃんとお薬を飲めば私なんかよりも全然健康だったりしますしw
なので彼女らを見ることで「だからこそ、薬をちゃんと飲もうね」って教えられることが出来るんだと思います。

ただラオスの場合は、まだその辺りが閉鎖的だったりするので効果がまだ出ていなくて残念なところではあります。
まあ、これからかなって感じですね。

これからの課題はなんですか?

まずは「あれ?」って思ってもらいたいです。
多くの方にHIVを知ってもらって「あれ?」と思ったら検査を受けてもらいたいですし、早く分かれば早く分かるほどお薬も早く始められるし、お薬を始めれば質のある生活が長く出来ますし。
知ってもらえれば出来ることがたくさんありますから。

Act Against AIDSでは初年度から「エイズには『知る』ワクチン」とスローガンに掲げています。知ることが大切なんですね

知ってまず自分の事と認識する。
そして「自分の問題でもある」と認識することですね。